大陸を超えて
本来、鉄道というものには地域性や地方性が色濃く出るもので、その線路の上を走る鉄道車両も然りですが、中には大陸の端から端まで、あるいは大陸を超えて活躍するものも歴史上、いくつか存在していました。
そんなトランスコンチネンタルな、あるいはインターコンチネンタルな車両を、思いつくままに紹介したいと思います。
ワゴンリの車両たち(その1)

「大陸を超えて」という表題に最もふさわしく、かつ最もポピュラーな存在が、ワゴンリ(国際寝台車会社)の所有した寝台車や食堂車といえるでしょう。

同社は、ご存じのとおりベルギーの実業家ジョルジュ・ナゲルマッケールスが1872年に創設した、世界で初めての、国境を越えて複数の国の間を直通する国際列車を運行した会社であり、所属する車両たちは、欧州大陸を構成する各国、すなわち北はスカンジナビア半島から南はイタリア半島まで、西はイベリア半島から東はブルガリアなどの東欧諸国、そしてモスクワまで、さらには大陸を超えてトルコ、シリアなどの中近東地域やアフリカ大陸のエジプトでも走っていました。
またワゴンリ社は、欧州大陸の西に浮かぶ大ブリテン島のロンドンへも、ナイトフェリーという列車を運行していましたし、帝政ロシア時代にはモスクワからシベリア鉄道を経由してウラジオストクまで列車を運行していました。
その上、シベリア鉄道を経由する列車の中には途中、東清鉄道を経て長春まで達する列車(欧亜連絡急行)もあり、日本が経営する南満州鉄道とも接点がありました。
この本

に掲載された当時の写真を見ますと、長春駅に停車する欧亜連絡急行に連結されたワゴンリの車両は、かつてTrix社が発売していたワゴンリの木造寝台車
https://www.trix.de/en/products/details/article/24794
そのものです。
またこの当時、大連から長春までを結び、欧亜連絡急行に接続した満鉄の列車には、かつてRoundhouseが発売していた製品
https://hoseeker.net/mdclist/roundhousecatalog1969pg02.jpg
によく似た、米国プルマン社製造の木造寝台車が連結されていました。つまりアジア大陸の東の端で、欧州と米国の鉄道車両が邂逅していたことになります。

(この項つづく)
そんなトランスコンチネンタルな、あるいはインターコンチネンタルな車両を、思いつくままに紹介したいと思います。
ワゴンリの車両たち(その1)

「大陸を超えて」という表題に最もふさわしく、かつ最もポピュラーな存在が、ワゴンリ(国際寝台車会社)の所有した寝台車や食堂車といえるでしょう。
同社は、ご存じのとおりベルギーの実業家ジョルジュ・ナゲルマッケールスが1872年に創設した、世界で初めての、国境を越えて複数の国の間を直通する国際列車を運行した会社であり、所属する車両たちは、欧州大陸を構成する各国、すなわち北はスカンジナビア半島から南はイタリア半島まで、西はイベリア半島から東はブルガリアなどの東欧諸国、そしてモスクワまで、さらには大陸を超えてトルコ、シリアなどの中近東地域やアフリカ大陸のエジプトでも走っていました。
またワゴンリ社は、欧州大陸の西に浮かぶ大ブリテン島のロンドンへも、ナイトフェリーという列車を運行していましたし、帝政ロシア時代にはモスクワからシベリア鉄道を経由してウラジオストクまで列車を運行していました。
その上、シベリア鉄道を経由する列車の中には途中、東清鉄道を経て長春まで達する列車(欧亜連絡急行)もあり、日本が経営する南満州鉄道とも接点がありました。
この本

に掲載された当時の写真を見ますと、長春駅に停車する欧亜連絡急行に連結されたワゴンリの車両は、かつてTrix社が発売していたワゴンリの木造寝台車
https://www.trix.de/en/products/details/article/24794
そのものです。
またこの当時、大連から長春までを結び、欧亜連絡急行に接続した満鉄の列車には、かつてRoundhouseが発売していた製品
https://hoseeker.net/mdclist/roundhousecatalog1969pg02.jpg
によく似た、米国プルマン社製造の木造寝台車が連結されていました。つまりアジア大陸の東の端で、欧州と米国の鉄道車両が邂逅していたことになります。

(この項つづく)
この記事へのコメント
オリエント急行は私が若いころイベントで日本列島を走りましたよね?
フジテレビ関連のイベントだったかなぁ
nice!です。