東の旅2025(その2)
鉄道博物館の展示で圧巻なのは、何といっても御料車のコレクション。まずは1号御料車。京阪間鉄道の開業時(1876年)に明治天皇がご乗車。

次いで2号御料車は、1902年に九州で行われた陸軍軍事演習の際に、九州鉄道が明治天皇の御乗用として提供した車両でドイツ製。

曲面ガラスが見事。

こちらは御料車唯一の展望車である10号御料車。外国の賓客用として使用され、英国皇太子エドワード・アルバート公やシャムのラーマ7世、それに満州国皇帝の愛新覚羅溥儀などが乗車。

この10号などボギーの木造御料車は、妻面に窓があるなど、なんとなく九州鉄道のブリル客車、いわゆる「或る列車」の面影があるような気がします。

これらの御料車は、いずれも厚いガラスで保護されており、写真が撮りにくいといった声も聞こえてきますが、いずれも当時の美術工芸の粋を尽くした、いわば美術品に類するものですので、美術館の展示物がガラスで保護されているように、私は、この展示方法は妥当と考えます。
続いて、一般の車両に戻って特急「富士」などに使用されたマイテ39(一般とはいうものの、当時一等車に乗車できたのは限られた階級の人たちですが・・・)。

桃山式と呼ばれた車内がすごい。

そして今回の最大のお目当てが、このC515号機。


大鉄型の大型のデフを装備し、前面に直線の補助の歩板を装着したその姿は、むかし西尾克三郎さんの本で見たC517号機とともに、強く印象に残っています。趣味界ではC51が英国風で、続くC53がドイツ風などと云われますが、私はC51がドイツ風で、C53は、米国製のC52をもとにしているため米国風ではないかと考えています。とくにこのC515や、さらにパイプ煙突に換装したC517は、どこかドイツの邦有鉄道のパシフィックを思わせます。
鉄道博物館本館の館内の様子(展示されている多くの車両が、L鉄道館
https://fery01.seesaa.net/article/2017-01-08.html
と違って、館外に繋がる線路上に置かれているのがいい!)。

本館では日に何度か、C57を乗せたターンテーブルを回転させるショーが行われています。

このショーを見たあと、そろそろおなかが空いてきたので館を出て、大宮駅の駅そばで昼食を摂って地下ホームへ。ここから、次の目的地に向かうため埼京線快速

に乗車して着いたのは渋谷。そしてやってきたのは、宮益坂にあるこちら。U-TRAINS

https://u-trains.com/shibuya
の2階の中古品売り場「U-TRAINS ANNEX」。ここの名物店員のO前氏(匿名になってないかも!?)は、今から30年以上以前、私がK都模型のU野さんの掌で踊らされて、同社が運営していたD丸百貨店S斎橋店の模型売り場に入り浸っていた頃、同店でバイトとして働いていた昔馴染み(まあ、向こうは私のこと忘れてたみたいですが・・・)。

少しお話をし、あいさつ代わりに中古の鉄道模型を買ったあと、青学の前を通って表参道から半蔵門線で神保町へ出て書泉グランデ

を覗いたところで、そろそろくたびれてきたのでカミさんと次女に連絡。上野で集合し、アメ横を見物したあと上野広小路から銀座線で日本橋、東西線に乗り換えて中野。中野サンモールや中野ブロードウェイを見物しながら、商店街外れのウズベキスタン料理店「ヴァタニム」
https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132104/13246382/
で夕食。
このお店は、東京在住のウズベキスタン人たちも訪れる本格的なウズベキスタン料理を出しており、次女も何度か訪れているとのこと。




ウズベキスタンといえば思い出すのが、今は亡き私の父が戦後、ソ連軍に抑留されて連れて行かれたのが同国の首都タシケント。ここの機関車工場で、FD(フェーデー)型の機関車
https://ja.wikipedia.org/wiki/FD%E5%9E%8B%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
の整備をやらされていたらしく、もしかして父もウズベキスタン料理を食べたかも、などと考えながらおいしく頂きました。
食後、中野の飲み屋街を見物しながら中野駅へ戻り、中央線快速で新宿。都庁

近くのホテルにチェックインし、職場から直行してきた長女とも合流して宿泊しました。(この項つづく)

次いで2号御料車は、1902年に九州で行われた陸軍軍事演習の際に、九州鉄道が明治天皇の御乗用として提供した車両でドイツ製。

曲面ガラスが見事。

こちらは御料車唯一の展望車である10号御料車。外国の賓客用として使用され、英国皇太子エドワード・アルバート公やシャムのラーマ7世、それに満州国皇帝の愛新覚羅溥儀などが乗車。

この10号などボギーの木造御料車は、妻面に窓があるなど、なんとなく九州鉄道のブリル客車、いわゆる「或る列車」の面影があるような気がします。

これらの御料車は、いずれも厚いガラスで保護されており、写真が撮りにくいといった声も聞こえてきますが、いずれも当時の美術工芸の粋を尽くした、いわば美術品に類するものですので、美術館の展示物がガラスで保護されているように、私は、この展示方法は妥当と考えます。
続いて、一般の車両に戻って特急「富士」などに使用されたマイテ39(一般とはいうものの、当時一等車に乗車できたのは限られた階級の人たちですが・・・)。

桃山式と呼ばれた車内がすごい。

そして今回の最大のお目当てが、このC515号機。
大鉄型の大型のデフを装備し、前面に直線の補助の歩板を装着したその姿は、むかし西尾克三郎さんの本で見たC517号機とともに、強く印象に残っています。趣味界ではC51が英国風で、続くC53がドイツ風などと云われますが、私はC51がドイツ風で、C53は、米国製のC52をもとにしているため米国風ではないかと考えています。とくにこのC515や、さらにパイプ煙突に換装したC517は、どこかドイツの邦有鉄道のパシフィックを思わせます。
鉄道博物館本館の館内の様子(展示されている多くの車両が、L鉄道館
https://fery01.seesaa.net/article/2017-01-08.html
と違って、館外に繋がる線路上に置かれているのがいい!)。
本館では日に何度か、C57を乗せたターンテーブルを回転させるショーが行われています。
このショーを見たあと、そろそろおなかが空いてきたので館を出て、大宮駅の駅そばで昼食を摂って地下ホームへ。ここから、次の目的地に向かうため埼京線快速
に乗車して着いたのは渋谷。そしてやってきたのは、宮益坂にあるこちら。U-TRAINS
https://u-trains.com/shibuya
の2階の中古品売り場「U-TRAINS ANNEX」。ここの名物店員のO前氏(匿名になってないかも!?)は、今から30年以上以前、私がK都模型のU野さんの掌で踊らされて、同社が運営していたD丸百貨店S斎橋店の模型売り場に入り浸っていた頃、同店でバイトとして働いていた昔馴染み(まあ、向こうは私のこと忘れてたみたいですが・・・)。
少しお話をし、あいさつ代わりに中古の鉄道模型を買ったあと、青学の前を通って表参道から半蔵門線で神保町へ出て書泉グランデ
を覗いたところで、そろそろくたびれてきたのでカミさんと次女に連絡。上野で集合し、アメ横を見物したあと上野広小路から銀座線で日本橋、東西線に乗り換えて中野。中野サンモールや中野ブロードウェイを見物しながら、商店街外れのウズベキスタン料理店「ヴァタニム」
https://tabelog.com/tokyo/A1321/A132104/13246382/
で夕食。
このお店は、東京在住のウズベキスタン人たちも訪れる本格的なウズベキスタン料理を出しており、次女も何度か訪れているとのこと。
ウズベキスタンといえば思い出すのが、今は亡き私の父が戦後、ソ連軍に抑留されて連れて行かれたのが同国の首都タシケント。ここの機関車工場で、FD(フェーデー)型の機関車
https://ja.wikipedia.org/wiki/FD%E5%9E%8B%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
の整備をやらされていたらしく、もしかして父もウズベキスタン料理を食べたかも、などと考えながらおいしく頂きました。
食後、中野の飲み屋街を見物しながら中野駅へ戻り、中央線快速で新宿。都庁
近くのホテルにチェックインし、職場から直行してきた長女とも合流して宿泊しました。(この項つづく)
この記事へのコメント
珍しいお店ですね。
30年ほど前にしぶあyで働いていて宮益坂もよく通っていたのですがこのお店は当時からここにあったのかなぁ?(全然気がつきませんでした)
nice!です。
私の父は捕虜としてタシケントに居たので、こんなおいしい料理は食べさせてもらえなかったかもしれませんねー
ここお店はごく最近できたんだと思います。