ワゴンリの車両たち(その4)

(食堂車2419D)
今回の旅行
https://fery02.seesaa.net/article/510588767.html
で立ち寄った渋谷のU-TRAIN ANNEX
https://u-trains.com/shibuya
で手に入れたのが、先に紹介
https://www.trix.de/en/products/details/article/24794
した木造寝台車と同系のワゴンリの木造食堂車。
WL2419D.jpg
車体番号は2419Dですが、実物の2419Dは、数奇な運命をたどったことで有名。
すなわち同車は、1913年から翌年にかけて製造された22両の同型食堂車のうちの一両で、第一次世界大戦中、1918年にフランス軍に徴用されて、フェルディナン・フォッシュ元帥の司令部の会議用車両に改造されます。そして同年11月、パリの北北東約70kmのコンピエーニュの森に置かれた2419Dの車内で、ドイツ帝国の降伏による連合国との休戦協定が調印され、その後、第一次世界大戦終結の記念物としてパリの軍事博物館に、次いでコンピエーニュの森に建設された博物館に展示されます。
しかし時は移り、ナチス政権下のドイツがフランスに侵攻すると、2419Dはヒトラーの命によって博物館から引っ張り出されて、再びコンピエーニュの森の全く同じ場所に置かれ、その車内で、フランスの降伏によるドイツとの休戦協定が調印されます。1940年6月でした。
その後、2419Dはドイツに持ち去られて、ベルリンで展示されていましたが、戦況の悪化に伴ってドイツ中部のオーアドルフに疎開。ところが1945年4月にオーアドルフに米軍が接近したとき、放火か失火かは不明ですが、戦闘のさなか、2419Dは焼失してしまいます。
現在、コンピエーニュの森の博物館には2419Dが展示されていますが、これは第二次世界大戦後、2419Dのグループの次に製造された食堂車2439Dを改造して製作されたレプリカ。そして上の写真の模型を製造したのは、オーストリアのリリプット社ドイツのトリックス社です。
(追記)
この模型のメーカーについて、てっきりトリックスとばかり思い込んでたのですが、ケースを見るとリリプット社でした。訂正します。
IMG_3733.JPG

この記事へのコメント

ma2ma2
2025年02月25日 13:13
Niceです
2025年02月25日 19:15
戦時下に翻弄された悲しい車両なのですね。
2025年02月26日 05:43
おはようございます。
nice!です。
2025年03月16日 20:49
ヨッシーパパさま
2419Dは、フォッシュ元帥による第一次大戦の休戦協定調印で「休戦の客車」として有名になったあと、当時のフランス大統領なども乗車し、さらに第二次大戦ではヒトラーやゲーリングなどが乗車するなど、他の食堂車の仲間より華々しい経歴を経ているので、決して悲しい運命をたどったわけではないように思いますね。太く短くでしょうか^_^。