戦争と機関車(その2)
(ヒトラーズデカポッド)

画像出典:Wikipedia
ナチスドイツは、英米仏ソとの戦争突入に備えて1938年に、重貨物用の43型を軽量化した50型を開発し、量産を開始します。その総数は3000両以上に達しました。また1942年には、50型を徹底的に簡略化した52型、および43型を同様に簡略化した42型を開発。50型に代えて量産を開始し、その製造数は52型が7000両以上、42型は800両以上に及びます。
これら軸配置2-10-0の機関車は、のちにヒトラーズデカポッドと総称されますが、その生産はドイツ国内には留まらず、ルーマニアなどドイツに与した枢軸国や、フランスなどの侵攻した国々でも製造されました。そして戦線の拡大とともに欧州中にばらまかれますが、東西両戦線でドイツが壊走を始めると、多くの機関車は戦地に取り残されて戦後、各国の国鉄に編入されます。
戦後、ヒトラーズデカポッドが所属した国は、北はノルウェー、西はベルギー、ルクセンブルクからフランス、東は東欧諸国からソ連、そしてトルコにまで及びます。さらにルーマニアやフランスなどでは、残された生産設備を利用して戦後も製造が続けれられ、ルーマニアで製造されたヒトラーズデカポッドの一部は1958年に中国に譲渡されてDK5型
https://www.kurogane-rail.jp/kurogane-doc/zh2/cloco24.html
となり、さらに北朝鮮にも供給されています。
(この項つづく)

画像出典:Wikipedia
ナチスドイツは、英米仏ソとの戦争突入に備えて1938年に、重貨物用の43型を軽量化した50型を開発し、量産を開始します。その総数は3000両以上に達しました。また1942年には、50型を徹底的に簡略化した52型、および43型を同様に簡略化した42型を開発。50型に代えて量産を開始し、その製造数は52型が7000両以上、42型は800両以上に及びます。
これら軸配置2-10-0の機関車は、のちにヒトラーズデカポッドと総称されますが、その生産はドイツ国内には留まらず、ルーマニアなどドイツに与した枢軸国や、フランスなどの侵攻した国々でも製造されました。そして戦線の拡大とともに欧州中にばらまかれますが、東西両戦線でドイツが壊走を始めると、多くの機関車は戦地に取り残されて戦後、各国の国鉄に編入されます。
戦後、ヒトラーズデカポッドが所属した国は、北はノルウェー、西はベルギー、ルクセンブルクからフランス、東は東欧諸国からソ連、そしてトルコにまで及びます。さらにルーマニアやフランスなどでは、残された生産設備を利用して戦後も製造が続けれられ、ルーマニアで製造されたヒトラーズデカポッドの一部は1958年に中国に譲渡されてDK5型
https://www.kurogane-rail.jp/kurogane-doc/zh2/cloco24.html
となり、さらに北朝鮮にも供給されています。
(この項つづく)
この記事へのコメント
nice!です。